毎日地震の揺れに晒されながらも、変わらない暮らしを続ける首都圏の人々。かくいう私もその一人。どんだけどエムやねん、っちゅうところです。
震災からかわったことと言えば、通勤途中の朝、電車で川を渡るときに「もうこれで二度と家に帰れないかもしれない」と思い、帰りに川を渡るとき「しばらく家から出られないことになるかもしれない」という小さな覚悟を決めることか。
日本人は、ある日を境に古い文化を捨て、新しい文化を受けいれ、急に全体で変わることができる希有な民族だという考察があった。明治維新しかり、第二次世界大戦後しかり。
これまで日本人はただだと思っていた水。水が汚染される危機に直面するとみなミネラルウォーターを買いに走る。そしてきっと今後ずっとミネラルウォーターを買うことになるかもしれないけど、それはそれとして受け入れている。
さて。連日マスコミが垂れ流す情報。これも、タダ。震災のあった日から民放には辟易し、原発事故以降は絶望したので一切民放は見ていない。ただで得られる情報の信頼性なんてちょっと考えればすぐわかる。
もともと、ホット○○パーなどのフリーペーパーに載ってる店なんてはなから信用ならないと思っているのだけど、民放の構造だってそれと一緒。スポンサーがいなければ成り立ちはしないのに。しかも今回の件でいえば、泥棒に実況見分させたデータを、泥棒がスポンサーの民放で報道するって構図なのに。
日本の伝統文化折り紙。海外各国で折り鶴を折って日本のために祈ってくれる人たちがいる、とてもありがたい。
日本人にできることは今、「だまし舟」を思い出し、自分が持ってると思っていた帆は実は舳先だった。一つのことだけを信じて目をつぶって握りしめていては、知らない間にだまされます。信じていたテレビにだまされてるかもしれない、と常に疑いながら、あらゆる情報を積極的に取り入れて、取捨選択して生きていくことだと思います。
そのうち、情報もただじゃないって、気がついて、サクっと新しい時代が来ることを願って。
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